阪神淡路大震災

19年前の1月17日の早朝。

ワタシは神戸港に向けてトラックを走らせてました。

当時は港でデバンをお願いしていたので、

その荷物を引き取りに港まで向かっていたのでした。

尼崎池田線を南下し、

171号線に入り武庫川を越えた辺りでまっすぐな道になります。

正面は神戸港。

ボ~と運転しながら目線を上げるとオレンジ色の空。

時間は5時46分。

『あれ、カミナリでも落ちたか?』と思った瞬間、

激しい横揺れが襲ってきました。(ちょうど吉野家の前)

運転席の右ドアにぶつけること3回、左右 合計5回の横揺れ。

無我夢中でハンドルを右や左に切ります。

揺れが収まってみると辺りは真っ暗。

街灯も信号も自販機もすべて停電でした。

 

揺れの大きさに呆然としながらも停電中の若山町交差点を進みます。

気が付くと阪急今津線と交わる登り坂(171号線上)で止まっていました。

このまま神戸に向かうかどうか悩んでいたのですが、これが良かった。

前方から オッチャンが走ってきて『進んだらあかん!橋が落ちとる‼』。

そのまま走っていたら、トラックごと線路に落ちていたのかもしれません。

今、思い出してもゾッとします。

命拾いしました。

 

その後、そのオッチャンと他の二人とで後続車をUターンさせ、

ワタシのトラックを横にして止め、車を通れなくしました。

そして停電している若山町の交差点で交通整理を開始。

この時には関西学院大学の学生さん4、5人も加わってました。

ちゃんちゃんこを着た近所の方も手伝って、全部で10人ほどでした。

朝6時過ぎから交通整理を始めましたが、

いつまでたっても警察は来ない。

他にもっとひどい状況の場所があるから警察が来ないのは当然。

でも当時はラジオはないし携帯も通じなかった為、

状況が全く理解できてなかった。

『橋が落ちてるし、信号も停電している‼』

『こんなひどい状況なのに何故警察は来ない!?』

と思ってました。

 

でも我々はやめない。

そこにあるのは『俺たちが何とかする!』

『ここは俺たちに任せろ!』という強い正義感のみ。

 

しかし午前11時頃になると超大渋滞で車が全く動けなくなり、

交通整理の意味も正義感をなくなり『もはやこれまで。』

とばかりに解散しました。

何時間かかって帰宅したかは覚えていませんが、

テレビを見てこの大震災の状況がわかりました。

家屋の火事や倒壊で多くの人手を必要としたのですね。

それを知らずに怒っていたワタシはお恥ずかしい限り。

ただただ反省するばかりでした。

 

毎年、1月17日になると思い出します。

 

奪われた6434人の尊い命のご冥福を祈ります。

 

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